舞台ザンビ観劇感想①〜気になったモチーフ〜

0.はじめに

舞台ザンビ(teamRED)を観劇した。休憩なしの約1時間半。正直この長さでよく詰め込んだな〜という感じだった。それ故に設定や背景を省略せざるを得なかった部分もあったのかな、と思う。観劇中は話の展開についていくのでいっぱいいっぱいになってしまい、観劇後にやっとあのモチーフはなんだったんだろう?どうしてこういう脚本になったんだろう?というような疑問が湧いてきた。ここでは気になったモチーフや脚本の意味などを、感想を交えながら考察していきたい。

 

 

以下では盛大なネタバレを含むので注意!

 

 

1.なぜキリスト教系の学校が舞台なのか

別に仏教系でも特に宗教が関わらない学校が舞台でも話は進む訳で。でもなぜキリスト教系の学校という設定なのか。それは「ザンビ」「ゾンビ」という言葉や存在が結びつくヴードゥー教が(詳細は前の記事を参照してほしい)、カトリック教と密接な関係を持っているからではないだろうか?

アフリカ人奴隷によってヴードゥー教が信仰されていたハイチではフランスからの統治時代、黒人法典という法令によって、カトリック教の信仰を強要される。しかし実際彼らがカトリック教の信仰の場において祈りを捧げていたのはヴードゥー教の神々であった。例えば信仰される神々の1つである「エルズュリ」の像は、幼児を抱いた聖母マリアとして表されることがある。また、神々に対する祈りは賛美歌や労働歌に形を変えながらも維持されていった。そしてヴードゥー教自身もまた、カトリック教の要素を取り込みながら発展していった。

 劇中では詳しく語られなかったが、セットからも学校がキリスト教系の学校であることは推測できるし、さらに上記を踏まえるとカトリック系の学校なのではないかというところまで絞り込めそうである。

ところで飯野ゆかりは襲いかかるゾンビから逃れるシーンでは途中、「神様」という言葉を口に出しつつ助けを乞う祈りを捧げる箇所がある。もし、カトリック教隠れ蓑にしてヴードゥー教を信仰する設定が生かされていたなら、ゆかりはキリストではなくヴードゥー教の神に祈ったことになる。そうだったら面白いなと思う。

※具体的にどの宗教を信仰しているとは語られていないのでもしかしたら「残美信仰」の表れなのかもしれない

 

 

2.なぜ風見鶏が動くとザンビが現れるのか

学校の時計台に設置された壊れた風見鶏。動かないはずの風見鶏が動く時、それはザンビが現れる予兆であった。しかしなぜ壊れた風見鶏が動くのか、なぜ風見鶏なのかは劇中では語られていない。なぜ風見鶏でなければならなかったのか。

そこで風見鶏が持つ意味について考えてみたい。もちろん風見鶏には風向きを計る、という意味がある。しかしそれ以上に重要なのは風見鶏が魔除けの意味を持つことである。したがって風見鶏が動くということは何らかの「魔」を感知したからだと考えることができる。

また、風見鶏に鶏がモチーフとして表されるのはペトロがキリストとの関係を否定した際に雄鶏の鳴き声によってその罪に気づいたことを記念しているという。福音書ではペトロはイエスに敵対する人とともに暖を取り、本当は知っているイエスのことを知らないと言って彼らの仲間として振る舞った、とある。この状況は本庄美奈子が殺人を犯しながらも特別避難所で仲間として溶け込んでいる状況や既にザンビ化している天津圭が非感染者として紛れ込んでいる状況に酷似している。もしかしたら風見鶏というモチーフは、特別避難所内に敵が紛れ込んで仲間の振りをしている暗示なのかもしれない。

 

 

3.まとめ

他にもフリージア学園の名前の由来や天津圭が感染を広めた理由など疑問点や腑に落ちないことはいくつかあるがまだ納得のいく考察ができていないので心に留めておくことにする。幸いもう1公演観劇の予定があるのでそこで新たな発見ができればいいなと思う。

 

 

【参考文献】

岡本健 2017 『ゾンビ学』 人文書院

立野淳也 2001 『ヴードゥー教の世界ーーハイチの歴史と神々』 吉夏社