ザンビの正体とはなにか?

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0.はじめに

舞台ザンビ公式パンフレットには次のような記載がある。

ザンビとは、人間の怨念から生まれた呪いの連鎖なのか?世界を破滅させるために作られた生物兵器なのか?謎多きザンビの正体。

 結局舞台の中ではザンビの正体が明かされることはなかった。正解はドラマや舞台、ゲームに委ねるとして、今回は自分なりの考察をしていきたいと思う。

 

さて、ザンビの正体とはなんなのか?私はズバリ、日本住血吸虫症だと考えている。

 

なお、寄生虫の写真は筆者自身が寄生虫などの虫が苦手なこと、症例患者写真は肖像権や著作権の問題を踏まえて載せていない。あらかじめご了承いただきたい。気になる方は自身で調べてほしい。

 

 

1.日本住血吸虫症

(1)日本住血吸虫症・住血吸虫症の概要

日本住血吸虫症とは吸虫が血管内などに住み着くことによって起こる寄生虫性疾患、住血吸虫症のうちの1種である。
住血吸虫症は世界78ヶ国に感染が報告されており、2013年の時点で少なくとも2億6千万人に継続的な集団駆虫対策が必要であると考えられている。

そのためWHOは克服すべき疾患とし、「顧みられない熱帯病」(Neglected Tropical Diseases=NTDs)のひとつに指定している。

 

(2)歴史

日本住血吸虫症は古くから特定の地方・地域に発生し、「水腫張満(すいしゅちょうまん)」、「片山病」などの呼び名を持つ風土病として知られてきた。

その後1904年に日本住血吸虫が、中間宿主のミヤイリガイは1913年に日本の研究者によって発見された。その後治療薬の開発やミヤイリガイの撲滅などを経る。

1977年に山梨県内で発生した3例を最後にそれ以降新たな感染者は確認されず、1996年の山梨県における終息宣言、2000年の筑後川流域における撲滅宣言をもって日本国内での日本住血吸虫症は撲滅した。住血吸虫症を撲滅・制圧したのは世界において日本のみである。

なお、現在日本においては海外渡航者による住血吸虫症の発症が確認される他、肝臓や腸管組織に残存した虫卵が検出される陳旧性症例が確認されている。

 

(3)症状

住血吸虫症の原因は、血管内に帰省した成虫の産卵である。特に日本住血吸虫は一日あたり約3000個もの虫卵を産み、激しい症状を引き起こす。産卵された虫卵は肝臓などにたまり血管塞栓や組織の壊死を引き起こす。

初期症状は発熱や腹痛などの軽いものであるが、やがて病状が進行すると貧血を起こしたり脈拍が細くなったりする。そして末期には肝臓などが腫大し多量の腹水がたまり腹のみが大きく膨れる。やがて衰弱して死に至る。

また、虫卵は血液を通して脳へ蓄積することもあり、麻痺や失語症などの脳疾患や脊髄圧迫症を引き起こすこともある。

 

(4)人への感染経路

日本住血吸虫症の一生(生活環)は以下のイメージ図にある通りである。

 

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日本住血吸虫症の生活環(イメージ)

①感染したヒトや動物の糞便と共に虫卵が排出される。

②水中でふ化し「ミランジウム」となる。

③中間宿主である水陸両生淡水産巻貝、ミヤイリガイに侵入する。

④貝の体内でミランジウムは幼虫「セルカリア」になる。

⑤セルカリアが水中に遊出する。

⑥タンパク質分解酵素を分泌し、終宿主であるヒトや哺乳類の皮膚から体内へ侵入する。

⑦体内で成虫になる

感染経路は水で、農作業や遊泳などのためにセルカリアの遊出している水田や水路、河川などに手足を浸した時に感染する。

 

(5)旧有病地

利根川下流域 (千葉県,茨城県

小櫃川下流域 (千葉県)
甲府盆地および富士川流域 (山梨県

・沼津地方 (静岡県

・片山地方 (現広島県福山市) および筑後川流域 (佐賀県,福岡県)

特に甲府盆地底部一帯は国内最大の罹病地帯であったため、この地は原虫の発見、治療、予防から終息宣言に至る歴史の中心的地域となった。さらにこの地には日本住血吸虫症に関する様々なことわざや俗謡が生まれた。

例えば

「水腫張満 茶碗のかけら」

ということわざはこの病に罹ると割れた茶碗のように二度と元には戻らず、役に立たない廃人になりこの世を去るという意味である。

また、甲府盆地において発症者の多い地区に偏りがあったことから

「竜地(りゅうじ)、団子(だんご)へ嫁に行くなら棺桶を背負って行け」、

「中の割(なかのわり)に嫁に行くなら、買ってやるぞ経帷子に棺桶」

などという俗謡が謡われた*1

 

 

2.日本住血吸虫症がザンビの正体となる根拠

(1)ザンビ=生と死の間を彷徨い続ける異形のものであること

舞台ザンビ公式パンフレットにはザンビとは生と死の間を彷徨い続ける異形のものであり、噛まれて感染すると二度と元には戻れないとある。

ここで重要なのはザンビは生と死の間に存在しているということである。生きていながらにして死んでいる。死んでいるが生きてもいる。つまり生きているし、死んでいるということなのである。日本住血吸虫症を発症している間は生きていると言えるし、健康=生と捉えれば死んだも同然と言えるのではないか。

また、ザンビ化すると異形となることや、ザンビ化したら二度と元には戻れないという設定は日本住血吸虫症の症状や「水腫張満 茶碗のかけら」のことわざを思い出させる。

さらに2016年に公開された『VIRAL(ヴァイラル)』という寄生虫による感染でゾンビ化する映画作品も存在する。こういった作品も参考としている可能性が高い。

 

(2)ザンビ村と残美信仰の特徴と甲府盆地の環境に共通点があること

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動画の冒頭にある古びた映像の音声を書き起こしてみた。

信州の山深き秘境に佇む古の残美信仰が残る村。

ザンビとは生と死の狭間にある存在。

古くから棺桶を作り、生業としてきたこの村では、

かつて生きながらにして埋葬された女が蘇り災いをもたらしたとされている。

通称・ザンビ村。

村では今もザンビ伝承の祀りが執り行われている。

特に最初の「信州」という言葉はノイズや音のこもりによって聞き取りにくくなっているので確実だとは言えないが、ザンビの正体が日本住血吸虫症だとしたら充分ありえるだろう。

また、俗謡で嫁入り道具として棺桶を持たせると謡われる程なのだから棺桶作りを生業にする人々や村も多少はあったのではないかと推測できる。

これらを踏まえるとザンビ村は日本住血吸虫症最大の罹病地であった甲州盆地に存在しているといえる。

以下余談。

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『【ザンビ】プロジェクト 始動』冒頭部分

この冒頭の映像には「昭和34年10月 帝都大学 民俗學研究所」とある。

 

www.youtube.com

そしてこの映像は同じく昭和34年に製作された『人類の名のもとに』という映画で、山梨県を舞台に日本住血吸虫撲滅の模様を実話に基づいて描いたものである。

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『【ザンビ】プロジェクト 始動』内で映し出されるザンビ村の情景

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『人類の名のもとに』で映し出される情景

このように茅葺の日本家屋などの情景が類似している部分もある。

もし、ザンビの正体が日本住血吸虫症(もしくはそれがモチーフとなった)ならば、この映像を参考にしていることも大いにありえるだろう。

さらに蛇足だが帝都大学民俗學研究所の映像は片桐仁演じる記者、守口琢磨がザンビを追う過程で入手したものだろうと推測している。あらすじに「村から出ていくよう」警告したとあるが、守口はザンビがある程度危険なものだと知っておりさらに詳しく調べるために村へ潜入、その途中でフリージア学園の一行に出会ったと予想する。

 

(3)水が感染経路であること

日本住血吸虫症の感染経路が水であることも重要である。

フリージア学園は全寮制の女子校である。全寮制の場合、食事場や風呂、トイレなどの水回りは共用である場合が多い。

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『【ザンビ】プロジェクト 始動』内の秋元真夏によるシャワーシーン

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『【ザンビ】プロジェクト 始動』内の山下美月によるシャワーシーン

実際フリージア学園はこのようなタイプの風呂のようである。

さらにフリージア学園は舞台内で「フリージア監獄」と呼ばれるように閉鎖的な環境であることが推測できる。そのような環境において風呂などで共有されやすい水が感染経路となる日本住血吸虫症は爆発的に感染が広まるのではないだろうか。

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『【ザンビ】プロジェクト 始動』内のワンシーン

学園の外にザンビ化が明らかになる前にこのような状況になることも十分に可能性がある。

 

(4)日本住血吸虫症はイヌにも感染すること

日本住血吸虫症をはじめとする住血吸虫症の特徴は人獣共通感染症である点だ。ヒトだけでなくイヌやネコや家畜などの哺乳類にも感染する。

ここで舞台ザンビにおける登場人物を思い出してみたい。フリージア学園の生徒、警備隊の面々、特別避難所であるフリージア学園に収容される一般人、そして犬である。フリージア学園が備蓄している食料を食い荒らしたとして犬が登場しているのである。フリージア学園の教師である本庄美奈子は鳴沢摩耶、一ノ瀬杏奈、桂雪穂、一色彩菜の4人が来てからザンビが現れるようになったとして特に鳴沢摩耶と一ノ瀬杏奈を疑うが、厳密にはその後野犬が学園内に侵入しているのだ*2。この時備蓄食料の管理を任されていたのは本宮佳蓮・飯野ゆかりの2名であった。そしてその本宮佳蓮は最初にザンビ化した人物なのである。食料を荒らした野犬であると報告できるということは2人と野犬に接触があった可能性が高い。この野犬がすでにザンビ化しており、2人と接触した時に本宮佳蓮がザンビに感染したのだとしたらつじつまが合う*3

ここでザンビ化した状態で学園に現れた天津圭の存在が浮上する。しかし天津圭が本宮佳蓮をザンビ化させたのだとしたら同時に、もしくはもっと早い段階で飯野ゆかりや八島桐子らがザンビ化していてもおかしくはない。それよりも野犬侵入後に本宮佳蓮がザンビ化していること、本宮佳蓮のザンビ化を機に学園内でザンビ化が爆発的に増えることからザンビ化した野犬が学園内感染の原因だと考える方が妥当である。舞台はザンビプロジェクトの第1弾であり後続コンテンツのストーリー展開上、明かせない設定もあったと推測できる。ザンビの正体もそのうちのひとつであろう。ザンビの正体が明かせないが故に犬が原因であるという内容にはできず、その結果犯人役としてあてがわれたのが天津圭という人物なのではないだろうか。

 

 

3.まとめ

以上がザンビの正体に関する考察である。

特に2–(4)の項目はこじつけ感が否めないがそこは”オタクによる考察”ということで許してほしい。

今回日本住血吸虫症、特に歴史についてはほんのさわりしか書いていない。実際は国立科学博物館で企画展を催せるほどの歴史とそれに伴う資料が存在する。下に記載している参考文献の多くはインターネットを通して閲覧できるものなので興味を持った方はぜひそちらを参考にしてほしい。

また、参考ホームページには記載していないがウィキペディア

住血吸虫症 - Wikipedia

地方病 (日本住血吸虫症) - Wikipedia

の項目は比較的引用元や参考文献等が明確に、かつ詳しく記されているのでこちらもある程度参考にできるだろう。

さて、この記事が的を射ているものなのか、はたまた大きく見当違いをしたものなのか…。

これから始まるドラマや舞台、ゲームに期待をして締めたいと思う。

 

 

 

【参考文献】

山梨地方病撲滅協力会編(1977)『地方病とのたたかい』,有限会社平和プリント社

 

中村 磐男 ・大江 敏江(2010)「河川環境の復元と感染症 : ツツガムシ病や住血吸虫症は再燃(再流行)するか」,『聖学院大学論叢』23(1),pp103-120

 

 石坂眞澄(2013)「国立科学博物館企画展 「日本はこうして日本住血吸虫症を克服した-ミヤイリガイの発見から100年 によせて」『農業と観光』158,独立行政法人農業環境技術研究所

 

桐木 雅史 ・林 尚子 ・千種 雄一(2015)「住血吸虫症(<特集>国境を超える感染症)」,『Dokkyo journal of medical sciences』42(3),pp233-237

 

 

【参考ホームページ】(2019年1月17日アクセス確認済み)

NIID国立感染症研究所(住血吸虫症とは)

https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/413-schistosoma.html

ザンビ|日本テレビー日テレ

https://www.ntv.co.jp/zambi/

 

 

*1:竜地、団子、中の割はいずれも地名

*2:もちろんこの時点においてザンビ感染者は出ておらず、ザンビ感染と見せかけて八島桐子を殺した本庄が2人に罪をなすりつけるために言った嘘である

*3:ここでは日本住血吸虫の生活環などは無視し、設定のみを生かした場合の推測である

舞台ザンビ観劇感想②〜チームの色を中心に〜

0.はじめに

ぼんやりしている間に舞台ザンビ千穐楽から1ヶ月が経ち、

その間に第二弾TVドラマ・第三弾ゲーム・第四弾新作舞台の制作が決定した。

2019年1月から始まるTVドラマを前に、忘れないうちに舞台ザンビを2公演観劇した感想を書き留めておきたいと思う。

※以下盛大なネタバレを含みます。

 

1.ストーリーについて

岡本健は『ゾンビ学』においてゾンビ・コンテンツの時間軸というものを定義している。私のようなゾンビ初心者でもこの時間軸を参考しながら見ると、舞台ザンビをわかりやすく捉えることができたので紹介したいと思う。

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ゾンビ・コンテンツの時間軸


まずゾンビが物語に登場するタイミングを起点としてその前段階と後段階に分けることができると岡本は言う。岡本は前段階を「日常」状態、後段階つまりゾンビが登場したり人に襲いかかったりする状態の期間を「ゾンビ・ハザード」と定義している。

この「ゾンビ・ハザード」には呪術などの方法でゾンビを人工的に増やしていくもの、感染によってゾンビ化が広がっていくもの、1体のゾンビが巻き起こす騒動などいくつかのパターンがある。

また、「ゾンビ・ハザード」状態の期間には大きな2つのポイントがある。

1つ目は「ゾンビ・アウトブレイク*1」だ。初めてゾンビが作品世界や主人公の周囲に発生する瞬間を示す用語だと岡本は定義する。

2つ目は「ゾンビ・パンデミック*2」である。この言葉はゾンビ・アウトブレイクの後、ゾンビ・ハザードの範囲が拡大したり被害が拡大したりする期間を指している。ゾンビ・パンデミックの最中にはゾンビと生者の間にやりとりが交わされるなどのプロセスを含む。

そしてその後ゾンビがいる状況が解消するか、ゾンビがいる状況から脱出するか、ゾンビがいる状況が「日常化」する段階を迎える。

 

それではこのゾンビ・コンテンツの時間軸を舞台ザンビに当てはめてみよう。なお、ここではゾンビ≒ザンビという風に扱う。(なぜ「ザンビ」という名称が用いられるのかについては「ザンビ」という言葉が示すもの - ナポリタンの日記を参照していただきたい。)

物語は鳴沢摩耶、一之瀬杏奈、桂雪穂、一色彩菜の4人が東京の避難所から特別避難所であるフリージア学園に連れてこられる場面から始まる。ザンビの感染は進んでおりフリージア学園もザンビ感染疑いがある者を収容する施設になっていた。さてゾンビ・コンテンツの時間軸に当てはめると、この物語ではすでにゾンビ・ハザードの期間に突入しているようである。途中回想シーンとして摩耶と杏奈が海で語らう場面がゾンビ・ハザードが始まる前段階である日常パートとして差し込まれるが、この物語のメインとなるのはゾンビ・ハザード期間の特にゾンビ・パンデミック状態のプロセスである。ゾンビ・アウトブレイクにあたる、ザンビの出現理由についてはこの舞台では明かされることがなかった。TVドラマ等での描写に期待しようと思う。

ゾンビ・パンデミック中はザンビ感染を疑われた人たちが謎の死を遂げ、その真相を杏奈たちが追うという話が展開される。舞台ザンビでは、ただ単にザンビ対生者を描くのではなく生者対生者のサスペンスやミステリーも組み込まれたストーリーとなっている。

そしてこの物語はザンビで溢れたフリージア学園への空爆で幕を閉じる。摩耶は杏奈の助けによりフリージア学園からの脱出を試み、杏奈は重傷のため学園から脱出できず空爆に巻き込まれる。摩耶が無事学園から脱出し船で逃れることができたかは明らかにされていないがフリージア学園からザンビがいる状況は解消されたし、杏奈においては死をもってザンビがいる状況から脱出できたので「日常化」の段階を迎えたといえよう。

 

 

 

 

 

2.各メンバーの感想

私は普段から定期的に舞台を観劇しているわけではなく、むしろ坂道グループの存在が観劇のきっかけを与えてくれたようなものである。したがって、役に演者個人の性格や面影を反映させた感想が思い浮かんでしまうのはアイドルである演者たちを普段から応援している身としては自然発生的なことである。しかし、こういった感想が生まれてしまうのは役者(=役になりきる者)である彼女たちに対していささか失礼なのではないかという気持ちにもなる。以下、各メンバーの感想では彼女たちがそれぞれ演じた役への感想と彼女たち自身への感想を同じ割合で述べていけたらと思う。

 

【TEAM"RED"】

与田祐希as鳴沢摩耶

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与田摩耶の印象は一本筋の通った正義感溢れる女の子。TEAM"RED"を最初に観劇したのだが、この時は杏奈よりも摩耶の方に主役としての比重が置かれているのだなあと思った。

疑問に思ったことは「どうして?」と聞ける。間違っていると思ったことには「間違っている!」と言える。歌声も伸びやかで裏表のないスッキリした人だなあ、という印象を抱いた。だからこそ摩耶が杏奈の姉を殺したという事実を知った時は素直にそうだったのか!と驚いてしまった。

(久保摩耶と比較して)

久保摩耶との違いを感じたのは杏奈の姉を殺した理由。久保摩耶に関しては後述するが、与田摩耶は親友と自分の命を守ることと、杏奈の姉を生かすという究極の二択の末に親友を守ることを選んだのではないかという印象を受けた。

また最後のシーン、学園内で空爆を待ちながら「海、いきたかったなあ」と呟く場面ではこのセリフを俯いて言っていた。本当に杏奈と一緒にいきたかったんだろうなあ…悲しいよね…と感情移入してしまうくらい素直な悲しさや悔しさが伺えた場面となっていた。

 

山下美月as一之瀬杏奈

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山下杏奈は記憶を失う前の快活な性格と記憶を失った後の怯えがちな性格をうまく対比させながら演じていたように思う。山下美月が杏奈の姉が殺される前後の演じ分けを180°真逆に演じきったからこそ、記憶を失う前はどちらかというと摩耶の手を引いて歩くような明るさと行動力を持っていたのだろうと想像できた。そして摩耶にとって姉が親友の手によって殺されてしまうという事実がどれだけのダメージであったかというところまで想像できたのだと思う。

また、山下美月は叫びというものを効果的に使えていたのではないかと思う。劇中、山下杏奈が悲鳴をあげるシーンが多く登場した。その中には悲鳴をあげ倒れた後回想シーンに移る場面もいくつかあった。山下美月はこの転換ポイントに叫びをうまく利用していたのではないだろうか。山下美月の叫びはパン!と手拍子を打ったように会場に響き渡り、暗転への良いつなぎとなっていた。6月・9月にあった乃木坂46版ミュージカル美少女戦士セーラームーンを始めとする舞台経験がしっかりと彼女の土台となって舞台ザンビで発揮されていたように思う。

 

土生瑞穂as桂雪穂

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とにかくスタイルが良い。高さと薄さのバランスが抜群で、ああこういう人が舞台映えする人なんだろうなあと思った。

土生雪穂は、学級委員長らしく正しさを重んじる中にも優しさを感じる印象を受けた。彩菜と「私たちって意外と人望なかったんだね」と自虐するシーンがあったが、実際土生雪穂には人望があったのだと思うし、学級委員長という役職も推薦で決まったのではないだろうかと想像できる程優しさで導くリーダータイプのように感じた。摩耶と杏奈がザンビ感染拡大の犯人だと疑われた時も自分なりに正しさと優しさの中で揺れ動いてその結果2人の側に付くという判断をしたのではないかと思わせてくれるような演技を土生瑞穂は見せてくれた。だからそんな土生雪穂までもザンビになってしまうこの世界の無情さがこの舞台における「救いはない」という一面をより鮮明に浮かび上がらせていた。

 

小林由依as一色彩菜

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小林彩菜はなんとなく器用そうな人物だなあという印象を受けた。何事もそつなくこなす副委員長タイプで雪穂とは委員長・副委員長の関係になってから仲良くなったのかなという感じ。小林彩菜が摩耶杏奈の側についたのは理論的に2人の話が通っていて信じられたからなのかもしれないと想像させるような落ち着いた演技を見せてくれた。

(守谷彩菜と比較して)

守谷彩菜との違いを感じたのは本庄先生に摩耶杏奈が閉じ込められたのを助け出すシーン。鍵がかかった倉庫の扉をヘアピンでカチャカチャッとして開けてしまうのだが、小林彩菜の場合、元々ピッキングの技術を習得していたのではないかという程スマートに解錠に成功していた。

話の都合上どうしても雪穂彩菜の2人の心情を描かれることが少なかったのが心残りである。特に小林由依はクールながらも確かな存在感を放っており、彼女が演じる一色彩菜をもっと見たいと思った。

 

・齋藤京子as本宮佳蓮

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良くも悪くも齋藤京子だなあという印象(全然悪くないです)。劇の中盤、摩耶たちがザンビ化を学園に持ち込んだのでは?と疑うシーンで佳蓮が「だから、わからないんです!わからないことが多すぎてなにもわからないんです!」と言う。このセリフ、齋藤京子本人が素で言っているのかと思うほど齋藤京子らしさに満ちていた。齋藤京子とWキャストを務めた柿崎芽実も同様のセリフを発していたが違和感を感じなかったので不思議でたまらなかった。

また、齋藤京子は舞台に立っていると154cmと小柄な身長をまったく感じさせない存在感を放っていた。よく通る声、状況に合わせた的確な体運びは見ている人の目を惹きつけただろう。今後も舞台で様々な役を演じる姿に期待したい。


 

小坂菜緒as飯野ゆかり

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 私がイメージしていた「ミッション系全寮制の女子校に通う後輩の女の子」はまさに小坂菜緒が体現してくれた。快活で自分の意志を持つ登場人物が多い中、飯野ゆかりという人物は消極的で流されやすいという貴重な役割を担うポジションにあったように思う。そんな役柄をよく表していたのが、終盤ゆかりがザンビから逃げ惑うシーンである。ゆかりは唯一神にすがったのだ。ミッション系の学園の生徒なのだから当然神に祈ることは日常的な行為であったはずだ。しかし自らザンビに立ち向かうことを諦めたゆかりが行き着いた祈りはもっと本質的な、超越した力を持つなにかに助けを求めるものであったように思う。小坂菜緒はそういった心からの祈りを、そしてその祈りすらも届かない無情さを「神様、助けて!助けて!助けて!」という短いセリフに込めていた。

 

 

【TEAM"BLUE"】

 ・久保史緒里as鳴沢摩耶

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観劇する前から「久保史緒里の演技がすごい」「頭ひとつ抜きん出ている」と話題だった久保史緒里。私自身彼女の演技を見るのは初めてだったのでそれなりの期待をして観劇に臨んだ。実際に久保史緒里の演技を見て、彼女は緩急ついた演技が上手な人なんだなあと感じた。前へ前へ出ようとする演技をするメンバーが多い中、久保史緒里は一歩引き舞台を俯瞰しながら動いているようだった。TEAM"RED"を観劇した際には、どちらかというと鳴沢摩耶が主人公に見えたがTEAM"BLUE"の場合は一之瀬杏奈の方が主人公に見えた。これは梅澤杏奈の隣に立ち、梅澤杏奈をサポートする形で話を展開していった久保史緒里の力が大きいだろう。

(与田摩耶と比較して)

与田摩耶との違いを感じたのは杏奈の姉を殺した理由。最善策をとして杏奈の姉を殺すことを選択したように見えた与田摩耶とは異なり、久保摩耶は摩耶自身の中に杏奈を守ることが絶対条件として存在していてそれを脅かす杏奈の姉を排除する目的で殺したような印象を受けた。久保摩耶は共通認識の正義というより自分の中の正義に従って行動しているようだった。これは自分の世界を持ちそれを大切にしている久保史緒里という人物像を反映している部分はあると思う。しかし久保史緒里自身が限りなく鳴沢摩耶という人物に近づき、演じられているということでもある。本業はアイドルだが、観客を魅了する実力が確かにあった。

また最後のシーン、学園内で空爆を待ちながら「海、いきたかったなあ」と呟く場面ではこのセリフを顔を上げ、空を仰ぐように言っていた。一緒にいけなかった悲しさを前面に押し出した与田摩耶とは異なり、こうなることはどこかでわかっていて既に吹っ切れたような印象を受けた。悲しい、悔しいけれど一番大切な杏奈を守るということはできたから悔いなく死ねる。そんな清々しささえ感じる演技だった。

 

 ・梅澤美波as一之瀬杏奈

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山下美月が演じる一之瀬杏奈を見た後にこれを梅澤美波はどのように演じるのだろうかと不安に思ったりもしたがまったくの杞憂だった。山下美月が叫びで杏奈の悲しみを演じるのに対して梅澤美波三点リーダ、つまり余韻で杏奈の悲しみを演じていた。梅澤美波の演技は声を張り上げることがあまりない、比較的静かなものであった。しかしその空中に消えていきそうな言葉尻はしっかりと杏奈の不安や戸惑いを表していた。

行方不明になった桐子を探すシーンではパニックになり1人グループから離れてしまう杏奈。何もないところに目線をやって怯える様子や「摩耶…!?摩耶…!?」と摩耶を求めるセリフまわしがとてもうまく、思わず早く誰か杏奈を助けてやってくれ!と手に汗握ってしまう程だった。

唯一心残りといえば梅澤美波がフェンシングの剣を振るう姿を見たかったということである。長身から繰り出される剣さばきはきっと華麗なものであっただろうし、見応えも充分だろう。梅澤美波と久保史緒里に関しては互いの役を交換しても遜色ないくらいの演技力であったように思う。

 

菅井友香as桂雪穂

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菅井雪穂は自ら学級委員長に立候補するような、リーダーに向いている自覚を持った人物である印象を受けた。彩菜と「私たちって意外と人望なかったんだね」と自虐するセリフは、後ろを見ずに突っ走ってきてしまった自分への怒りにも似た感情が含まれていたように思う。後輩や信頼する先生からの態度についても裏切りというよりは自分への失望だと感じ取っているような感じだった。みんなのお手本としてどのような行動をとるべきかを常に考えている菅井友香らしい学級委員長像だったように思う。

 

・守谷茜as一色彩菜

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守谷彩菜は雪穂とはもともと仲が良く雪穂が委員長に立候補したから副委員長になったのかなという感じ。小林彩菜が摩耶杏奈の側についたのは菅井雪穂がそちら側についたからなのかと想像させるような息ぴったりの演技を見せてくれた。

(小林彩菜と比較して)

守谷彩菜との違いを感じたのは本庄先生に摩耶杏奈が閉じ込められたのを助け出すシーン。スマートに解錠する小林彩菜とは異なり、私ならできる!やってみたらできた!というようなある意味力技で解錠したように見えた。きっと守谷茜自身のチャレンジ精神があるところが反映されていたシーンになっていたのではないだろうか。

 

 

柿崎芽実as本宮佳蓮

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ザンビ化する演技が一番うまかったのは柿崎芽実だったように思う。人間からザンビへ変貌する狭間の曖昧な、人間としての意識が薄れていく様子が非常にリアルだった。柿崎佳蓮がザンビ化する際に発する「私、なんか、変だ…」というセリフは、もう既に佳蓮が「変」になっていることを間の取り方で上手に表現していた。

本宮佳蓮という人物は、摩耶たちに疑いがかけられた途端に後輩でありながらも手のひらを返したように厳しくあたる嫌な奴というポジションである。しかし柿崎佳蓮がザンビ化する際には不思議とざまあみろ、という気持ちにはならない。それどころかザンビ化してしまうことにショックを受ける程である。嫌な役どころだがなぜか憎めないキャラに仕上がっているのはさすが"あざといキャラ"を確立している柿崎ならではのものである。

 

加藤史帆as飯野ゆかり

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 加藤ゆかりはその消極的で流されやすい性格ゆえに常に摩耶達の側につくか敵対するか揺れ動いていた。誰を信じれば良いのかわからない状況の中で加藤ゆかりはいつも誰かの顔色を伺っていたように思う。

摩耶と杏奈を別室に連れて行き鍵をかけるシーンでは、「鍵、かけさせてもらいますね!」と語気を強めて言う小坂ゆかりに対して、少し申し訳なさそうに優しく声をかけていたのが印象に残っている。何が本当に正しいのかわからないからマジョリティーに加担する。そんなゆかりの性格を引き立たせている場面、演技であった。

 

 

3.まとめ

とてつもない長文になってしまったが舞台ザンビの感想は以上 である。

今回の舞台はWキャストならではのキャラクターに対する解釈の違いが明確に見えたものであった。

2月から始まる新作舞台「ザンビ〜Theater's end〜」はトリプルキャストということで今回以上に各チームの色が濃く出るものになるだろう。楽しみである。

 

 

 

《参考文献》

岡本健 2017 『ゾンビ学』 人文書院

*1:免疫用語。ある期間のある場所において、通常想定されるよりも多くの患者発生があることを指す。

*2:免疫用語。アウトブレイクが国を超えて世界の複数の地域で発生している状態を指す。

舞台ザンビ観劇感想①〜気になったモチーフ〜

0.はじめに

舞台ザンビ(teamRED)を観劇した。休憩なしの約1時間半。正直この長さでよく詰め込んだな〜という感じだった。それ故に設定や背景を省略せざるを得なかった部分もあったのかな、と思う。観劇中は話の展開についていくのでいっぱいいっぱいになってしまい、観劇後にやっとあのモチーフはなんだったんだろう?どうしてこういう脚本になったんだろう?というような疑問が湧いてきた。ここでは気になったモチーフや脚本の意味などを、感想を交えながら考察していきたい。

 

 

以下では盛大なネタバレを含むので注意!

 

 

1.なぜキリスト教系の学校が舞台なのか

別に仏教系でも特に宗教が関わらない学校が舞台でも話は進む訳で。でもなぜキリスト教系の学校という設定なのか。それは「ザンビ」「ゾンビ」という言葉や存在が結びつくヴードゥー教が(詳細は前の記事を参照してほしい)、カトリック教と密接な関係を持っているからではないだろうか?

アフリカ人奴隷によってヴードゥー教が信仰されていたハイチではフランスからの統治時代、黒人法典という法令によって、カトリック教の信仰を強要される。しかし実際彼らがカトリック教の信仰の場において祈りを捧げていたのはヴードゥー教の神々であった。例えば信仰される神々の1つである「エルズュリ」の像は、幼児を抱いた聖母マリアとして表されることがある。また、神々に対する祈りは賛美歌や労働歌に形を変えながらも維持されていった。そしてヴードゥー教自身もまた、カトリック教の要素を取り込みながら発展していった。

 劇中では詳しく語られなかったが、セットからも学校がキリスト教系の学校であることは推測できるし、さらに上記を踏まえるとカトリック系の学校なのではないかというところまで絞り込めそうである。

ところで飯野ゆかりは襲いかかるゾンビから逃れるシーンでは途中、「神様」という言葉を口に出しつつ助けを乞う祈りを捧げる箇所がある。もし、カトリック教隠れ蓑にしてヴードゥー教を信仰する設定が生かされていたなら、ゆかりはキリストではなくヴードゥー教の神に祈ったことになる。そうだったら面白いなと思う。

※具体的にどの宗教を信仰しているとは語られていないのでもしかしたら「残美信仰」の表れなのかもしれない

 

 

2.なぜ風見鶏が動くとザンビが現れるのか

学校の時計台に設置された壊れた風見鶏。動かないはずの風見鶏が動く時、それはザンビが現れる予兆であった。しかしなぜ壊れた風見鶏が動くのか、なぜ風見鶏なのかは劇中では語られていない。なぜ風見鶏でなければならなかったのか。

そこで風見鶏が持つ意味について考えてみたい。もちろん風見鶏には風向きを計る、という意味がある。しかしそれ以上に重要なのは風見鶏が魔除けの意味を持つことである。したがって風見鶏が動くということは何らかの「魔」を感知したからだと考えることができる。

また、風見鶏に鶏がモチーフとして表されるのはペトロがキリストとの関係を否定した際に雄鶏の鳴き声によってその罪に気づいたことを記念しているという。福音書ではペトロはイエスに敵対する人とともに暖を取り、本当は知っているイエスのことを知らないと言って彼らの仲間として振る舞った、とある。この状況は本庄美奈子が殺人を犯しながらも特別避難所で仲間として溶け込んでいる状況や既にザンビ化している天津圭が非感染者として紛れ込んでいる状況に酷似している。もしかしたら風見鶏というモチーフは、特別避難所内に敵が紛れ込んで仲間の振りをしている暗示なのかもしれない。

 

 

3.まとめ

他にもフリージア学園の名前の由来や天津圭が感染を広めた理由など疑問点や腑に落ちないことはいくつかあるがまだ納得のいく考察ができていないので心に留めておくことにする。幸いもう1公演観劇の予定があるのでそこで新たな発見ができればいいなと思う。

 

 

【参考文献】

岡本健 2017 『ゾンビ学』 人文書院

立野淳也 2001 『ヴードゥー教の世界ーーハイチの歴史と神々』 吉夏社

 

「ザンビ」という言葉が示すもの

0.はじめに

舞台ザンビのネタバレを盛大に含む内容となっている。

また、プロジェクトの全貌が明らかになっていない状態でこの記事を書いているので妄想話程度に受け止めてもらえればな、と思う。

 

 

 

1.なぜ「ザンビ」という名称なのか

www.youtube.com

「ザンビ」、聞き慣れない言葉である。映像にもある通り内容はホラーでありゾンビらしき存在も確認できる。なぜ「ゾンビ」ではなく「ザンビ」なのだろうか。

 

・「ゾンビ」の語源に注目させたかったため

「ゾンビ」は南アフリカで広く信仰されている「ンザンビ(Nzambi)」*1に由来する。アフリカに存在するンザンビを信仰する宗教は、奴隷がハイチなどの中米に連行されるとともに持ち込まれ、ヴードゥー教へと変容していった。そしてンザンビもヴードゥー教の呪術によって生み出される「ゾンビ」という存在に変容していったのである。「ザンビ」という言葉と「ンザンビ」という名称は酷似している。何らかの関係性があることは確かだろう。

 

文化人類学的背景を作品に取り込むため

「ゾンビ」というと例えばバイオハザードのようなゾンビvs人間の構図で描かれるゾンビを連想することは容易である。しかし「ザンビ」にすることで「ゾンビ」を想像させつつヴードゥー教やアフリカの諸宗教へと導く言葉できる。「信仰」という言葉を作品の中で活かしつつ、単なる「ゾンビを扱った作品」ではなく文化人類学を絡めたより広がりのある作品にするためにあえて「ザンビ」という言葉を用いのではないか。

 

 

 

2.なぜカタカナなのか

・「ゾンビ」という言葉を連想させるため

上記にもあるように「ゾンビ」の語源として、または「ゾンビ」という存在を連想させるには「ザンビ」はカタカナ表記であることが妥当である。

 

・複数の意味を持たせるためf:id:n_p_r_t_n:20181122010357p:plain

ザンビプロジェクト始動時の映像では、カタカナ表記の他に「残美」という漢字表記が用いられている。ここでは信仰の固有名詞として用いられてる。

しかし、舞台ザンビにおいて「残美信仰」は一度も劇中に登場しなかった。

では舞台版ザンビの「ザンビ」を漢字表記するとしたら何になるだろうか。私は「残日」という表記を推したい。舞台ザンビでは登場人物たちはザンビ感染の疑いがかけられたために、特別避難所で7日間の拘留を命じられる。劇中では「あと数日耐えればここから出してもらえる。」という趣旨のセリフがある。このように7日間という期間が物語では重視されていること、時間経過とともに物語が進行していくことから「美」ではなく「日」がテーマなのではないかと推測する。

 

 

3.まとめ

もし今後映画やドラマ、小説化(可能性はなくはない)などプロジェクトが進行していく中で「ザンビ」という言葉の持つ意味がどんどん増えて行ったら面白いなと思う。

 

 

 

【参考文献】

岡本健 2017 『ゾンビ学』 人文書院

立野淳也 2001 『ヴードゥー教の世界ーーハイチの歴史と神々』 吉夏社

 

 

 

*1:全知全能の神。転じて不思議な力を持つものの呼び名になっている。その対象は人、動物、物など多岐にわたる